ハロルド・アグニュー氏 広島訪問と被爆者との対面 (2005)を見て

レイモンド・ウイルソン  リンガヒロシマのデータベース「物理学と工学」部門の監修者

広島・長崎への原爆投下の是非に関して少しでも考えるとすれば、大抵の若い世代の米国人物理学者は、アグニューのようには考えないと思う。

アグニューが成人してからの人生は、専ら核兵器開発と米国による防衛を優位にすることに注がれた。彼は、2013年に亡くなるまで、真珠湾攻撃のことが頭を離れなかったようだった。

アグニューは次のように言ったとされている「私は、科学と軍隊は協働すべきだと常に感じてきた。レオナルド・ダ・ヴィンチにしてもミケランジェロにしても、最初から彼らはそうやっていたのだ。彼らは、責任者のために物をデザインしてきたのだ」と。従って、彼は終生核兵器の設計に積極的に関わった。

では、どういういきさつで彼はそのようになったのだろうか。

「あなたは、当時何をしていたのですか」という質問に対して「これをしろと言われたことは何でもやっていた。世界の未来について、長い目で見るとそれが何を意味するのかなど、十分に学んでおらず、正しく認識する知識もなかった」と私は答えた-ハロルド・アグニュー(ロスアラモス国立研究所 エノラ・ゲイ科学観測員)

拙書の46頁参照のこと。無料ダウンロードはこちら:

Nuclear War: Hiroshima, Nagasaki, and A Workable Moral Strategy for Achieving and Preserving World Peace (23 MB, 256 pages)

 

米国でも日本でも、軍隊内で起こることはこれだ。(拙書47頁参照のこと):

例えば、スメッドリー・ダーリントン・バトラー少将は、こう述べている。「ほかの軍人と同様、除隊するまでは、自分独自の考えを持つことはなかった。私の知的諸能力は、上司の命令に従う間、仮死状態のままだった。これは、兵役に服した者の典型的な状況だ」米国海兵隊(退役)。著書 “Old Gimlet Eye,” “Hell Devil Darling,” “The Fighting Quaker,”  “Old Duckboard.”  Brevet Medalist, Congressional Medal of Honor (twice). 名誉進級受賞、米国議会名誉勲章(受賞二回)

アグニューは、終生軍隊を退かなかった。従って、だれがそれをしたのか、なぜやったのかに関わらず、彼は戦争の残虐さに気づくことはなかったようだ。アグニューは自らがそのような残虐行為に加わったということについて、あまり深く考えたことがなかったのは明らかだ。ただ、彼は、未来の核兵器使用については無謀なことだ―と実際に述べている。恐らくアグニューは生前、広島・長崎を真に理解するに十分な時間がなかったのだろうと思う。

<付記>

TBS―被爆60年(2005年)。米国在住のアグニュー氏をインタビューし、彼に広島訪問と被爆者との面会を勧めた:

「あの時、原爆投下は止められた」原爆開発科学者と被爆者の初対話 全内容