<行動のための絵画と詩>  戦後日本の大衆による抗議行動 四國五郎の反戦画

四國五郎による絵と詩のデジタル展示サイトが公開されました。このサイトで、筆者のアン・シェリフさんは、多量の資料を綿密に検証し、内容の濃い解説をしています。四國の戦後作品に関して、これほど包括的な紹介は、現在のところ何語であっても他に例を見ません。

アン・シェリフ教授について

アン・シェリフ(米国オハイオ州オバーリン大学教授)

アン・シェリフ教授のプロフィール

四國五郎(1924-2014)について

広島出身の四國五郎は、画家で詩人、そして反戦活動家でもありました。彼は、シベリアに3年間抑留され、1948年に帰国後はじめて弟が広島の原爆で死亡したことを知りました。四國の戦後はこの2つの辛い体験から始まりました。

四國五郎による絵と詩のデジタル展示サイトについて

1. ウェブサイトのOverview(概要)で、シェリフさんは、読者に対して、以下の3つの質問を事前に提供しています。

①  四國やその仲間たちは、絵や文学の分野での安定した立場を投げ打って、自分たちの作品をどのように民衆に見せ、その意義を訴えましたか。

② このサイトで紹介する本や絵や詩は、自分たちの故郷を、遠く離れた場所で想像するだけの焼け跡イメージと比べ、どのように違った形で思い描かせるでしょうか。

③ 日本の軍国主義と帝国主義についての論争は未解決であるにもかかわらず、四國と仲間たちはいかにして社会正義を支持し、核兵器開発競争に反対してきましたか。

シェリフさんが読者にこれらの質問を投げかけたのは、四國の作品を単に理解させるためではありません。彼女は、このウェブサイトを手掛かりに、より普遍的な問題の答えを見つけてほしいと願っているのです。

2. このウェブサイトは、四國の戦後活動を、以下の3つの柱で述べています。

① 原爆詩の収集 四國の広島での反戦活動は「われらの詩の会」のメンバーとして始まりました。その活動の一つに、「辻詩」がありました。1950年代初頭、警察当局の厳しい規制をくぐりぬけ、仲間と協力して絵に詩を付けたポスターを街に掲示しました。

『おこりじぞう』*  四國五郎は、児童文学者の山口勇子**との協働による『おこりじぞう』の挿絵画家として広く知られました。四國は、挿絵を通して幼い子どもたちの戦争体験を次世代に伝える役割を果たしました。

*『おこりじぞう』(新日本出版社, 1983)『絵本おこりじぞう』(金の星社, 1979)『The Angry Jizo』(山口書店, 1983)

**山口勇子(1916-2000)について―自分と夫の両親を原爆で亡くした広島の被爆者です。戦後は、「子どもを守る会」結成に加わり、原爆で親を失った子どもたちを支援する精神養子運動に力を注ぎました。>リンガヒロシマのデータベースで検索

『ひろしまのスケッチ』(広学図書, 1985)。四國は、広島の街のスケッチを多く残しました。シェリフさんは、個々のスケッチについて歴史的意味や社会的背景を説明しています。

「ヒロシマを表現する」

このページでは、四國の生涯と作品に関し多様な側面からアプローチします。例えば、シェリフさんは、彼の線画の技術やスタイル、絵画の展示方法、彼のデザインした慰霊碑をはじめ、彼の遺した多くの作品を詳細に解説します。

芸術の遺産

四國五郎が亡くなった2014年以降、支援者たちは、長男の四國光氏と共に彼の遺した多様な成果や展示物を継承してきました。女優の木内みどりさん(1950 – 2019)は、四國の描いた絵をスクリーンに見せながら、彼の反戦詩を朗読してきました。広島の劇団は、「ひろしまの河」と題した劇を上演しました。朝鮮戦争当時に活動家たちはいかにして日本政府の再軍備に抵抗してきたか―を舞台で再現します。また、四國の作品は、回顧展、展覧会、本の出版、メディアによる報道を通して国内外に知られてきました。

当プロジェクトの展望

シェリフさんは、このサイトが平和教育や英語教育の教材として、学校現場で利用されることを期待しています。こうした彼女の願いは、四國による絵画表現の意図と一致します。彼は「自分の作品は単に鑑賞するだけでなく、反戦平和のための行動の手段として活用してほしい」と、常々語っていたと言います。