新規に登録した本の紹介-『ふりそでの少女-二つの物語』発行:活水高校平和学習部, 2021年

この小冊子は、多言語(日本語、英語、中国語簡体字、中国語繁体字、韓国・朝鮮語)で書かれています。長崎の被爆者に関わる二つの物語です。

一つは、被爆者の松添博さんが、振袖姿で火葬された二人の少女の絵を描いた絵本『ふりそでの少女』(汐文社、1992)の紹介です。この冊子は、松添さんの絵のモデルとなった彼女たちについて絵や写真で紹介しています。

もう一つの話は、少女たちの像の建設運動のいきさつです。亡くなった少女の一人の母親と交流をしていた京都の中学生たちの発案で「ふりそでの少女」像を建てるプロジェクトが始まりました。市民の間で、募金活動を皮切りに支援の輪が広がっていったのです。

完成した像は、長崎原爆資料館の屋上庭園に設置されています。この冊子は、5千部発行し、長崎原爆資料館などで配布しています。活水高校平和学習部の高校生たちは、英語翻訳にも取り組みました。

  核軍縮とピースマーク

ピースマークと呼ばれる丸い図形は至る所にあり、イヤリングから車のステッカーまであらゆる大衆文化の中に見られます。誰もが目にし、ほとんどの人が使っているものですが、その由来を知る人はあまりいないでしょう。

歴史

ピースマークは本来、核軍縮を支援するために、1958年2月イギリス人アーティストのジェラルド・ホルトムによって発案されたものです。公共の場に初めて登場したのは1958年4月Direct Action Committee Against Nuclear War(核戦争反対直接行動委員会)が組織したアルダーマストン行進です。この時500個のシンボルマークが掲げられました。このマークは英国核軍縮キャンペーンが正式な標章として採用しています。

ピースマークの誕生以来、反核運動は少なくとも2回起こっています。ホルトムの時代(1950年代終わりごろから1960年代初めまで)には、核実験禁止運動が世界中の核実験場で起きました。20年後(1970年代終わりから1980年代)、反核運動は西欧で増大し、抗議は米軍の核兵器使用に向けられました。スローガンは「ユーロシマ」、つまり 「ヨーロッパでヒロシマを繰り返すな」という意味です。こうしてシンボルは冷戦時代以降、国際平和のシンボルとして定着してきました。

ピースマークが「平和」の象徴であるということは認識されるようになりましたが、その本来の意味はデザインの中に埋め込まれています。

ピースマークの誕生

ホルトムは、Nuclear Disarmament(核軍縮)の頭文字「N」と「D」を表す二つの手旗信号の形を組み合わせただけで、見慣れた中央部分を作りました。次に、人間の形を単純化して直線にし、その周囲に円を描きました。現在の象徴的な標章の誕生です。

ホルトムは、第二次世界大戦中、良心的に兵役拒否をした人で、このデザインの著作権も敢えて取得しませんでした。何より、広く認知されているこの平和のシンボルの著作権は今日まで放棄されたままで、誰もが自由に使えるシンボルであり続けているのです。だからこそ、60年以上もの間、大衆文化の中に遍在してきたといえるでしょう。

ジェラルド・ホルトムの詳しい情報についてはhttps://en.wikipedia.org/wiki/Gerald_Holtom               平和のシンボルの歴史と核軍縮キャンペーンについては https://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_disarmament                   をご参照ください。

(ナンシー・メイヤー、山田美恵子訳)