私は1934年1月30日に生まれました。したがって,当時私は7歳と約10ヶ月でした。日本軍の真珠湾攻撃のことは、両親が私に話をしてくれたのではなかったかと思います。その出来事の重大性を理解するには、私は少し幼かったと思います。
今思うと、あれは酷かったですね。私たちは1986年1月にパールハーバーで1日を過ごしました。今では日本軍の真珠湾攻撃がどういうものかは十分に理解しています。私の理解では、指揮を執る日本の指導者もまた、それを良しとはしていませんでした。考えてもみて下さい。アメリカの方は天然資源が豊富で、加えて人なども多かったのです。戦争を仕掛ける国としても、賢い決断ではありませんでした.
当時、学校でパールハーバーのことを教えてもらった記憶はあまりありません。しかしながら、その時、私は小学2年生だったので、読み書きと初歩的な算数を学ぶことが、当時の私の教育においては最優先していました。小学4年生の時にいくらか歴史を教えてもらった記憶があります。中学2年生の時、一人の先生が歴史を教えてくれました。また、高校でも歴史の授業がありました。
当時、学校でパールハーバーのことを教えてもらった記憶はあまりありません。しかしながら、その時、私は小学2年生だったので、読み書きと初歩的な算数を学ぶことが、当時の私の教育においては最優先していました。小学4年生の時にいくらか歴史を教えてもらった記憶があります。中学2年生の時、一人の先生が歴史を教えてくれました。また、高校でも歴史の授業がありました。
学校で歴史を教えてもらうようになってから、パールハーバーが重大な出来事だったことを思い出しました。あの出来事は、ほとんどのアメリカ人が知っている限りでは、第二次世界大戦の始まりとして、全歴史に関連していると言っても過言ではありません。アメリカ人は、当時日本がすでに中国で戦っていたことについてはほとんど知らないでしょう。その一方で、バターン死の行進や硫黄島及びその周辺地域に至る南太平洋における日本の戦争については、多少なりとも教えられました。そして、私たちは日本の本土の島々を侵略するということはどんなものかと考え始めました。100万人のアメリカ人が犠牲になると言われていましたが、米軍の最高責任者は10万人にも満たないのではないかと考えていたという報告もあります。
いずれにせよ、広島に原爆が投下される数ヶ月前、日本は降伏しようとしていましたが、天皇制を維持したいと主張していました。 奇しくも、その数ヵ月後、日本は天皇制を維持することができたのです。アメリカは、ソ連が参戦して大きな成果を得る前に戦争を終わらせたかったのでしょう。
原子爆弾の使用については一概には言えません。 しかし、若い人たちが、年配の人たちよりも「間違っている」と考えているという点では、世論調査の結果は理にかなっていると思います。 核戦争の脅威については、今日ではずっと多くの情報が得られます。
広島に原爆が投下されたというニュースがラジオから流れてきたとき、私は祖母の家にいて、祖母や私の家族が同席していたことを覚えています。 反応はおおむね良好でした。 当時、私には海軍に所属していた2人の従兄弟がいましたが、原爆投下により、彼らが生きて帰ってくる可能性が高くなりました。 後に、広島と長崎への原爆投下がもたらした写真が広く公開されるようになって初めて、私は米国による原爆投下の意味を考え直す機会があったと言えるかもしれません。
<ドナルド・レイスロップ > バークシャー・コミュニティ・カレッジ名誉教授(哲学)。海外に日本文化とヒロシマ・ナガサキの体験を伝える民間外交プロジェクト、ネバーアゲインキャンペーン, NACの創始者。また、リンガヒロシマのプロジェクト計画に関するアドバイザー。
【ネバーアゲインキャンペーンの26年間の活動実績】 1.NACボランティアの数:51名(1985-2011) 2.プレゼンテーション(講演会/上映会)の数:11,565回 3.訪れた国:10カ国 (米国、カナダ、旧ソ連、メキシコ、パナマ、 コスタリカ、コロンビア、グアテマラ、ブラジル、プエルトリコ) 4.メッセージを伝えた人々の数:約363,480人 (主に米国の子供達)
グラフのデータ出典:[CBS News Poll] What do Americans think of the 1945 use of the atomic bomb?
(稲葉玲子 訳)