バーバラ・レイノルズとワールド・フレンドシップ・センター 被爆者の声を世界に届けたアメリカ人女性
この日本語版小冊子は、英語版小冊子と一緒に広島のワールド・フレンドシップ・センターから2021年に発行されました。平和活動家であり、ワールド・フレンドシップ・センターの創設者であったアメリカ人女性、バーバラ・レイノルズさん(1915-1990)の活動を世界の人々に知ってほしいという思いで、関係者の方々は取り組みました。
彼女が家族と共に初来日した1951年から彼女が亡くなった1990年までの活動については、冊子の最終ページにある「バーバラ・レイノルズ年表」で知ることが出来ます。彼女の夫で人類学者の、アール・レイノルズ氏が広島のABCC(当時原爆障害調査委員会、現在は放射線影響研究所)に派遣され、一家で広島に来ました。
レイノルズ氏がABCCでの任務を終えた後の1954年に、家族は、ヨットで世界平和の実現を訴えるために世界1周の航海に出発しました。1962年に、バーバラさんは、被爆者と共に第1回平和巡礼を企画し実践。世界の14都市を訪問しました。1965年には、原田東岷医師と共に、広島にワールド・フレンドシップ・センターを発足させたのです。
バーバラさん初来日の1951年からアメリカに永久帰国した1969年までの間、広島に在住したのは、通算12年間でした。米国に帰国した後も、平和活動は終生続けました。1982年には、被爆者の描いた「原爆の絵」を携え、被爆者の松原美代子さんと共に米大陸を2か月間かけて横断する「反核平和キャラバン」の旅をしました。2011年6月に平和公園内に設置されたバーバラさんの記念碑には、彼女がいつも言っていたという2つの文章が刻まれています。「私もまたヒバクシャです。私の心はいつも ヒバクシャ ヒロシマ とともにあります」。
日本語版と英語版の小冊子は、ワールド・フレンドシップ・センターが無料で配布しています。https://www.wfchiroshima.org/
【レイノルズさんの家族が書いた本・論文のリスト】
Reynolds, Jessica/ To Russia-with Love/ Tokyo/ Charles E. Tuttle Co., 1962. https://www.linguahiroshima.com/jp/detail?id=2902
ジェシカ・レイノルズ著 大久保康雄訳/ ジェシカの日記/ 角川書店/ 1964/ 282頁 https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA46299971
Reynolds, Earle/ The Forbidden Voyage/ New York/ David McKay Company, Inc., 1961. アール・レイノルズ 「フェニックス広島号の冒険」(中国新聞に1961年10月10日付から134回掲載) https://www.linguahiroshima.com/jp/detail?id=2629
Reynolds, Earle, and Barbara Reynolds/ All in the Same Boat, an American Family’s Adventures on a Voyage around the World in the yacht “Phoenix”/ New York/ David McKay Company, Inc., 1962. https://www.linguahiroshima.com/jp/detail?id=10294
Reynolds, Earle L. アール・レイノルズ/ Growth and development of children exposed to the atomic bomb, Hiroshima; 3-year study, 1951-53 広島原爆被爆児童の成長および発育-3か年(1951-53)の研究/ [in:] Technical Report ABCC業績報告書. Hiroshima; Nagasaki 広島;長崎, Radiation Effects Research Foundation 広島-長崎原爆障害調査委員会, No. 20-59, 1959. https://www.linguahiroshima.com/jp/detail?id=718
Reynolds, Barbara/ さらば広島: Goodbye to Hiroshima/ Hiroshima/ Association to Express Appreciation to Barbara San, the YMCA, 1969. 日英併記。https://www.linguahiroshima.com/jp/detail?id=1530